ミ.のいる街
**ある犬に物語る**

ブルーライン

私はこんな街を見たことがあるよ。猫のいない街。
  それはこういう訳だった。その街の、ある時の市長と議会とが、不思議な法律を決めたのだ。
  「街において、猫を飼ってはいけない。いかなる猫も追放さるべし。」
とね。
  その人たちは言った。
  「あのような生き物はいらない。我が街において、我々はあの生き物と共存できない。」 曰く、鳴き声が聞くに堪えない、より小さな生き物をいじめることが多い、そして街の環境を乱す、と。
  議会からは重い鐘の響きみたいに、この条文が街に向かって発せられた。街の人たちがどうしたかといえば、ただその法律に従ったと言うだけのことさ。法律はすべてに優先する。だからその後、街には猫がいなくなった。
  私がその街に行ったのは、そうなってからしばらくしてのことだった。噂も聞いていたしね。前にも訪ねたことはあるが、もう一度寄ってみる気になったのだ。
  街はずれの駅に列車が止まったので、私はがらんとした道を歩いて街の中へ入って行った。ちょうど夏の、明るい夕暮れ時だった。人々は広場に張り出したテーブルで、冷たいものを飲んだり、気だるそうにおしゃべりをしていたりした。何のあてもなかったから、私は泊まるところを探しながら、ぐるぐると小路から小路へと歩きまわった。混み合う季節でもないのに、適当な宿はなかなか見つからなかったが。
  猫はいなかったかって? さて何と言ったらいいだろう。街の路地のあちこちや、低い屋根の上や、ちょっとした木の陰などには、ふかふかした毛並みの尾の長いしなやかな生き物が、悠々と歩いたり寝そべったりしていた。その生き物は私が近づくと尖った耳を立て、青や黄金色の目でこちらを見た。そしてすぐにまた興味なさそうにあちらを向いて、余念なく毛づくろいをした。
  あれは猫ではないのか。
  私もそう思ったよ。だが街の人たちに聞くと、彼らはこう言うのだ。
  「あれは猫ではない。ミ.という動物なのだ。」
と。
  おかしいかね。しかし街の人たちは大まじめなんだ。
  「この街から猫はいなくなった。その代わりにもっと優雅で高尚な、ミ.という生き物がやってきて、我々と暮らすことになったのだ。第一、猫なんて、」
と、その人たちは言った。
  「他人のものも自分のものも見境なしにやたらに物を盗るし、人目を避けてこそこそ行動するし、夜中にやかましく鳴き交わすし、だいたい何を考えているのか分からない。そんなものはいなくなって良いのさ。だからすっかり追放されたのだ。」
  ある人は私にビールを勧めながら、こう言った。
  「それに比べれば、ミ.の方は全く反対だ。この世にこんなに優美で典雅な生き物はふたつといまい。その立ち居振る舞いと言い、生き方と言い。我々が一緒に暮らすことの出来るのは、こういった生き物なんだぜ。」
  彼は自分のビールを一気に飲み干してから、私に向かって片目をつぶって見せた。
  さて、私にはどうしてもミ.と猫との区別はつかなかったのだが、街の人がそう信じ、そう言い張るのでは仕方もない。言ってみればどうでも良いことだからね。
  その晩私は、つつましいホテルにようやく部屋を見つけた。窓から見下ろす中庭に小さな井戸があって、そばに一匹のミ.が寝そべっているのが見えた。ミ.がこちらを見上げたとき、月からの明かりを受けてその目がきらりと光った。あの目の中には、まだ知られていない鉱石がはまっているのだと思うよ。

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しかし、ここで面白いことがある。
それまでこの街は、取り立てて言うこともない平凡な街だった。あの法律が出来て、猫がいなくなるまでは。けれどもミ.が来てからというもの、街は変わった。そうだね、どういう具合にかというとうまくは言えないが。つまり、優雅で高尚なミ.がのびのびと生きられるような街に、少しづつなっていったと言うことかな。
建物のたたずまい自体は、それほど変わらない。ただ所々、ミ.に都合の良いように路地の奥に泉が設けられたり、ミ.が通りやすいように建物の間には隙間が縦横につけられたり、屋根は緩やかな傾斜になってざらざらとした材質になったり、身を潜めるのにちょうどいい木の茂みが増えたり、と言ったことだ。ほんの少しどこかが変わっただけさ。
それでも、人々の暮らし方が変ったように見受けられた。ゆったりと屈託なく、まるでミ.の生き方みたいに。街自身もそれと一緒に、今までのくすんだ印象は取り払われて、なんだか風の中で建物全部がすっきりと背を伸ばして立っているという感じだった。
猫が、いやミ.が、このような人々の要求に応えたのだろうか。それともただの思い過ごしだろうか。いずれにしても私には、この生き物がよそで見る猫よりずっと気高いように見えてきたよ。
街の人はミ.を見ると、立ち止まって道を空ける。ミ.は無関心を装って、尻尾をゆらりとさせながらその前を横切る。それでも茂みに潜り込んでから、思い出したように顔をのぞかせ、感謝の意味か短く鳴く。 ・・・全くこれが猫の声にそっくりなんだ・・・
おまえも普段は、猫が道を横切ったりすれば追いかけたくなるくちだから、これは気恥ずかしいような光景だろうね。
そういえば、私が滞在していた間にこんなことがあった。よそからこの街にやってきた人が、猫を連れてきたんだ。街では議論になった。
これは猫か、ミ.か。
猫ならば追放されなければならない。持ち主はあくまで主張した。
「私のこれは、猫です。」
議論は百出。結局、議会の長老がこんな判断を下した。
「この街に入って三日経つと、猫はミ.になるのだ。」
なるほど、この街にはこういう作用があるわけだ。三日の後、生まれ変わった生き物は悠々と街を歩き、すっかりミ.に成りきっていた。持ち主は渋々、ミ.の飼い主になることを認めた。
これに対して、犬はそのまま「犬」だったね。何の注意も払われないで、何だかしょげ返った様子で街をうろうろとしていた。あれだって別の名前にしてやると、また生き生きとしてくるかも知れない。そんな街を作ったらどうだろう。おまえも行ってみたいか。私だったら行ってみようと思う。世界がまた別の在りようになることだってあるのだから。

 ところで、そのあと街は一体どうなっただろうか。
こんな状態が何年か続いて、ミ.たちは安穏に暮らしていた。だがある時、一人の若い議員がこう言い出したのだ。
「この街には、猫を追放するべしという法律がある。にもかかわらず私には猫としか思えない生き物が、ただ名前を変えて行き交っているではないか。このような状態は堕落であり、我慢が出来ない。私は断固反対する。」
議会は静かになってしまった。人々も固唾を飲んだ。街中が凍り付いたように動きを無くして、そのまま何ヶ月もが過ぎた。川べりの木々が柔らかな葉を出し、やがて白い花をつけ、それから風の中に綿毛を飛ばした。日の光は少しずつ青みがかっていった。
そしてある日とうとう、この音のない風景の中にくっきりと声が流れた。
「法律は廃止される。猫の存在は認められる。」
それと一緒にミ.は消えた。
よみがえった猫は、我関せずと自分の生き方を続けた。彼らにとっては何も変わったわけではないからね。
人々は? 法律に従うだけさ。
だが街はというと、私の見たところでは少しづつさびれていった。どこと言って建物のたたずまいは変わらないのだが、ひととき街に張り詰めていた空気は消えてしまった。何故だろう? 幻のミ.が、何か影響を与えていたのだろうか。
私が何度目かに訪れたとき、街はもう見る影もなかった。川沿いの並木は相変わらず美しかったけれども、建物には重い灰色が降り積もっていた。夕方、私は列車に乗って早々とそこを離れた。余り長く歩きまわる気がしなかったのだ。振り返ってみると、鋼色の雲の下で、街は廃墟みたいに黒々としていた。

 これがミ.のいた街の話さ。
さあ、猫がいてもいなくても、我々は気持ち良くやろうじゃないか。私は、月の海みたいなビールをもう一杯飲むよ。    (了) 

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